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渡部陽一の戦場からこんにちは 第1回 戦場取材の危機管理 (平成22年05月12日)

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渡部:「戦場からこんにちは」の時間です。初めまして。ジャーナリストの渡部陽一です。本日は、小林よしのりさんをお招きしてお話を進めていきたいと思います。

 

小林:小林です。今日は聞き役にてしたいと思います。

 

渡部:よろしくお願いします。

 

小林:はい、よろしくお願いします。

 

渡部:本日は、戦場取材での危機管理に関してお話をさせていただます。ちょうど最近の国際情勢の中で、タイのバンコクのデモの取材中に1人の日本人カメラマンが命を落としてしまいました。さらに、今日付けの段階ではまだアフガニスタンの方で日本人が取材中に拘束されてしまい、現時点においても解放されてない状況が続いています。

 

小林:今、この時点でどれくらい経ったかな?

 

渡部:4月1日に拘束されたという速報が入ったんですけれども、すでに約3週間…

 

小林:経ってますよね。

 

渡部:はい。実際にアフガニスタンで僕自身が取材をしている時期と拘束された方の事件が起きた時と同じ状況だったんですけれども、まず拘束されたことに関して現地でアフガニスタン人の方がどのようにこの事件を扱っているのか1つ触れていきたいと思います。

今、アフガニスタンの中で日本人のジャーナリストが拘束されてしまった、日本政府側と拘束した側が解放に向けて交渉に入っていると言われているんですけれども、現時点で誰が日本人を拘束したのかはっきり定まっていないんですね。最初にはアフガニスタンで活動している武装勢力タリバーンがジャーナリストを拘束したとニュースが進んでいたんですけれども、どうも現地の取材を進めていますとそうではないという声が多いんですね。

 

小林:だいたい、この話って以前3人拘束されて大問題になりましたよね。あの頃は、ジャーナリストが拘束されて大事件になって政府から私的にイラクの方に行ったりしていることがずっとニュースで流れてたのに、最近この話が大きくニュースで流されないですよね。それが不思議だなと思ってたんですよ。

 

渡部:まず一つの理由として考えられるのは、情報を封鎖することで完全に現地で開放交渉の大詰めを迎えているんじゃないかと言われています。現地でたくさんのジャーナリスト、僕自身も含め世界中のジャーナリストが今回の拘束事件を現地で追いかけたんですけれども、どこにインタビューに行っても一切情報を出さないということが現地での今回の事件に対する状況でした。

 

小林:水面下で例えば日本大使館の人とかが交渉しているの?

 

渡部:はい、確実にしています。日本政府、そして現地のアフガニスタン政府、そして拘束された側のアフガニスタン北部の部族地域の代表者とそれぞれがアフガニスタンの部族制度のルールに則って解放交渉を進めています。それ故に、ジャーナリストの情報が人命に関わってしまうかもしれないということで、ある面情報の箝口令が敷かれている、と言う状況はありましたね。

 

小林:それでタリバーンでも…

 

渡部:と、まず言われています。その一つの理由がですね、タリバーンが過去ジャーナリストを拘束した売りには、必ずアナウンスを外部にするんですね。それは、我々タリバーンがどの地域でどの国籍の人を拘束した、拘束した理由、そしてその条件、相手に求める条件というものはこうしたものですよ、と必ずアナウンスを外部に出すんですね。今回の拘束に関してはそのアナウンスがなかったのが一つあります。もう一つはですね、今回の拘束事件のもっと前にですね、フランス人のジャーナリストが2名、更に地元のアフガン人の有力者の方々が複数、何人も拘束されている…

 

小林:拘束されている?今も?

 

渡部:はい、現時点で。

 

小林:日本人のジャーナリストっていうのは又の名をフリー?

 

渡部:フリーランスのジャーナリストです。

 

小林:名前とかも分かっている?

 

渡部:はい、分かっています。で、その方の事件が起きる前にですね、既にもう何度も外国人がその地域では拘束されていたんですね。その拘束している人たちがやはりタリバーンではなく、地域の山賊…狙いが身代金…完全にお金という狙いの上で外国人を拘束することで大金を手にする、そうした味を占めてしまっている環境があるんですね。その背景でも今回の事件はタリバーンという本筋の武装勢力とは一線を画した身代金目的ではないのかということをアフガニスタンの地元の人達は言っていたんですね。

 

小林:山賊っていうのはタリバーンとは政治的に背景が全然ない人間たちがアフガニスタンにはいっぱいいる訳だね?

 

渡部:その通りなんです。アフガニスタンイラクもそうなんですけど、部族性という一つの国の中に何十もの複数の部族がそれぞれの地域で自分たちの管轄を持っていまして、その部族のルールに則った生活、文化、慣習を持っていますので、その部族性というそのものを理解して取材にあたっていくことが非常に大切であると感じています。一つ、今回の拘束事件も絡めてなんですけれども戦場の取材者、僕自身が戦場カメラマンとしてどのように現地で安全を確保しながら取材を進めていくのかをお話していきたいと思います。

 

小林:いつもファンから電話がかかってきたりとかするじゃない?(笑)

「今、アフガニスタンにいます」とか突然言うから、「大丈夫かな?この人って(笑)」

人質取られてるのになぁって「この人大丈夫だろうか…」といつも思っていたんですよ(笑)

 

渡部:で、この危機管理に関してなんですけど、戦場カメラマンとしてまず取材よりも必ず自分の母国に怪我なく戻ってくること。これが自分に課してある絶対条件です。戦場カメラマンとは行きて帰ってくること、そのために具体的に現地で行っていることをお伝えします。

今回のつい先日まで現地取材を行っていたアフガニスタンでの状況なんですけれども、現地では必ず僕以外に一人「ガイド」を、そしてもう一人「通訳」、そして最後もう一人武装した「セキュリティ」と呼ばれる安全を確保してくれる方を僕自身に就いて頂きます。今回は、全部で4名で現地で取材を行っていました。取材中には絶対に一人でカメラを持って町中に出て取材をすることはありません。一人で出ることが一番危険なことなんですね。それ故に、現地で生まれ育ち現地の言葉を話すガイドの人たちと最低でも三人で動くように心がけています。

 

小林:それ全部雇うわけ?

 

渡部:はい。これはですね、現地で雇います。日当をそれぞれの方にお支払いをして仕事としてお願いをします。ガイドとして、英語を話せる方は通訳として、そして武器を持ち何かあったときに助けてくれる方は、安全管理のセキュリティとして一日一日、決まった金額をお支払いして一緒に動いていただきます。

 

小林:じゃあ、その人質にさらわれたジャーナリストはそういう武装したガードマンいなかったの?

 

渡部:現時点で入ってきている情報では、現地のガイドの方とは一緒に動いていたようです。その方の様々な人脈を使いながら取材の方を進めていたようなんですね。ただ、最後の最後にやはり相手が武器を持ってきた、武装勢力であったということを考えるとガイドだけであるとどうしても安全は守れなかったというのが現実かもしれませんね。

 

小林:そういう山賊が現れたときっていうのは、銃撃戦になったりするわけ?

 

渡部:なります。

 

小林:ほんと?それ凄いね。

 

渡部:例えばイラクの取材中、2004年の4月のときなんですけれども僕がジャーナリストとしてカメラでイラクの方にインタビューを取っている取材を行っていたんです。すると突然、僕の後ろに日本者の白のクラウン80年代式の車が猛スピードで走り込んできて、ギュッと止まったんですね。すると、車の中から4人の若者が飛び出してきて、カメラを回している僕はそれに気付かずに回している、その後ろから突然、羽交い締めにされて車に引きずり込まれたんですね。その時に僕のガイドの人が飛び込んできて、その若者と大乱闘になったんですね。そこで僕はもう恐怖で体が固まってしまっているんですけど、その方が割って入って大乱闘になった中で、僕を逃してくれたんですね、「逃げろ」と。カメラを持ってそのまま走って逃げ出したんですけど、そのガイドの方がその場でずっと喧嘩をしてる中で最終的にその4人の若者たちは車で逃げてしまったんです。

 

小林:凄いねぇ。

 

渡部:そうした取材中に、「何度も取材に行っているから大丈夫」、「この地域はもうよく知っているから大丈夫」という思いを持ったときがやっぱり危ないんですね。あと、その国々のルールであったり危険が迫って来ているときの空気を感じ取ってくれる人たちがガイドとして、セキュリティとして必要です。絶対に取材先では一人では動かないこと、そして現地に精通したガイドを必ず最低でも二人就けることが安全に取材を進めていく上で大切なことです。

 

小林:なるほど、銃を持った人が常にそばにいて取材をしていこうと…

 

渡部:はい。で、今回のアフガニスタンの取材の時にタリバーンの攻撃にかち合ったんですね。アフガニスタンの首都カブールからパキスタン国境の近くにあるジャララバードという街を取材中向かっている折に、標高2000メートルの山岳地帯を移動中、山の斜面から「RPG-7」というロケット砲でアメリカ軍のタンクローリーを襲撃する現場にかち合ったんです。そのときにはタリバーンがタンクローリーをロケットで爆破して、辺り一面もう火の海になったんですけれども、そのときにも武装したセキュリティが僕の横についていたおかげで、怪我なくそれを取材して戻ることができたんですね。

 

小林:目の前でそういう戦闘シーンが見られる、映画みたいな…

 

渡部:その通りなんです。戦場取材ではやっぱり映画のような状況にかち合うことがあるんですね。目の前でたくさんの民間人の方が犠牲になっていくこともあり、自らにも危険が迫ることはあります。それ故に、絶対に怪我なく戻ることを自分に課している、最後は命よりも大切だと言われているカメラですけど、やっぱり現場では生命があってこそ取材をすることができ、また次の取材先に足を運ぶことができる。安全確保をすることが自分に課しています。

 

小林:そうか、ただ闇雲に危険の中に飛び込んでいくヒロイズムみたいなだけでは、やっぱやれない訳ですよね。

 

渡部:はい。よく、やっぱり僕自身を戦場カメラマンの駆け出しの頃、フリーランスのカメラマンとして取材費も自分でアルバイトをして稼ぎ、限られた資金の中で現地に足を運び取材する。すると、どうしてもお金がなくなってくると取材を進めることができなくなってしまいますので節約、節約を心がけている中で危機管理というものに対しても節約をしてしまう傾向が強かったんです。ここでは大丈夫、ガイドやセキュリティをつけなくても大丈夫、お金も限られている、このまま行ってしまおう。すると、実際に大丈夫であったことが何度も続きどうしてもおごりの心を持ってしまうことが多かったんです。今から振り返ると無茶をしていた、身も凍る恐怖を感じますね。

 

小林:たまたまその時にやられてしまったり、さらわれたりしなくてただただ良かったっていう感じだよね。

 

渡部:はい。危機管理、そしてもう一つ現地で大切にしなければならないことは、この一線を越えた先にオサマ・ビンラディンがいて単独インタビューを取ることができる。世界最強のスクープをこの一線を超えれば取ることができる、という瞬間はあるんですね。その時に僕を守ってくれているガイドが、「ワタナベ、この一線は絶対に超えてはいけない。ワタナベが命を落とすことになる。絶対に行くな。そこにビンラディンがいる。それは分かる。でもこれを超えてはいけない。」と言った時に、いま自分は我慢をして一歩引くことができます。これが怪我なく戻ることの絶対条件なんです。目の前にスクープが動いている時にもうそこにある、取れる、でもガイドが行ってはいけない。ガイドが言うことを守ることが、戦場カメラマンとして生き残っていく大切な要因なんです。取材先では欲を出さないこと。これが怪我なく取材を終えて帰国できる最大の思いですね。

 

小林:ジャーナリストにしてみればやっぱり、スクープはやはり欲しい。その一つがあったら自分は世界的な有名人になれるかもしれないぐらいの感覚もあるわけだし、それはやっぱりジャーナリストとして、よくそれだけの現実を見たいっていう欲望や野望はどうしても湧いてくるだろうから、それこそ自分の中の存在理由だよね。それを結局真実を確認したいという感覚をありながらそれを抑えるのも必要だと。

 

渡部:必要です。よく登山家の方が最後の頂上の僅か5メートルまで登り、さぁ下山しなければならない、それが行きて帰る最善の方法、その思いが戦場報道でも重なることは多いですね。地元で生まれ地元の言葉を話す人達が「これ以上行ってはいけない」と言ったときには必ず引くこと、こちら側が日当の給料を払っているから行かせろ、ということは絶対に言ってはいけない。これを現地の取材では大切なこととして自分に言い聞かせています。

 

小林:危機意識みたいなものがそこで言うことが聞けるかどうかが自分の危機管理能力になっているということだよね。

 

渡部:あとは、実際に僕と一緒に動いてくれるガイドの人たちが本当にいい人なのか、もしかしたらお金目的で僕を武装勢力に引き渡してしまうかもしれない人達がいるんですね。それを見極める眼力も現地では必要になってきます。「この人はいつも優しくていい人だからガイドとして素晴らしい」のかというと決してそうではないんですね。

 

小林:騙されているかもしれないと…

 

渡部:はい。やっぱり喜怒哀楽をしっかり正直に出してくれる人たちがガイドとして非常に適して僕にとっても大切な存在になりますね。

 

小林:そういう人たちっていうのは、また行ってもまたその人に頼むっていうようなそういう人はいるわけ?

 

渡部:います。イラクに行ったらこの男性、アフガニスタンに行ったときはこの男性と、必ず長期間ずっとつなげてきたお互いの信頼関係を一回一回の取材の中でよりまた熱くしていくように心がけています。

 

小林:「人間関係そのものが必要だ」ということだよね。

 

渡部:そうですね。どの国に行ってもやっぱり人とのつながりが取材を進めていく上で一番大切だと感じました。そして、そのガイドの人たちがいい人なのか、駄目な人なのかをまた識別する一つの方法としてお伝えしたいことがあります。これは、現地に行き一人のガイドと知り合った時にそのガイドの自宅にお邪魔させて頂く。ガイドが、本当にガイドとして僕を助けてくれるのかを見極める一番手っ取り早い方法です。その方のご自宅にお邪魔すると、奥さんがいて子供がいておじいさんがいてみんなで一緒に食事を食べたり、テレビを見たり、一緒に見たりします。その時に奥さんや子供たちにどのようにして接しているのか、本当の姿を意外と外国の方々は見せるんですね。その振る舞いを見ていてこの人は大丈夫と感覚的にすぐ分かるんですね。

 

小林:それで「あなたのお家によらせてください」とか言うの?

 

渡部:言います。

 

小林:言うの!?なるほど、凄いな。

 

渡部:「ご自宅にお邪魔してもいいですか」と。すると諸外国の方々は自宅にゲストを招くことを物凄く喜んでくれるんですね。日本とはちょっと違う感覚ですけれども、外国のゲストを自宅に招くことは非常にみんな喜んでくれるんですね。非常にその自宅にお邪魔した時にこのガイドの本当のパーソナリティが見えてくる。これが戦場報道に限らず、外国に旅行に行ったときや何かの撮影に行ったときも知り合った方がいた時に、その方のご自宅やお子さんにお会いしてみるとその方の本質がよく見えてくると感じましたね。

 

小林:そうかぁ。なんか勉強になるなぁ。

 

渡部:はい。非常に最初の初期から未だに僕自身が戦場で行っていることなんですね。

 

小林:コミュニケーションはやっぱりいちばん大切だと。

 

渡部:はい。

 

小林:コミュニケーションが自分の危機管理になると。

 

渡部:そうですね。やっぱり信頼関係を持つこと。これは言葉が通じなくても、国が違ってもやっぱり正直に物を申すこと。そして相手が言ってきたことに誠実に答えていると自然と信頼関係は築き上げ相手のこちらの思いをしっかり汲み取ってくれますね。この危機管理ということに関して取材の上で僕は必ず気を配っていることですね。

 

小林:わかりました。

 

渡部:はい。戦場取材とは決して一人で取材先に立たないこと。戦場取材とは、現地で生まれ育ったガイドの方を必ず自分の横につけて取材先を回ること。これが戦場取材で行きて帰る最大のポイントである。私はここで断言いたします。

 

小林:はい。

 

渡部:はい。今日は戦場取材での危機管理に関して、小林よしのりさんをお招きしてお話させていただきました。本日はありがとうございました。

 

小林:はい、どうも。ありがとうございました。